たったひとりの応援団

三無主義をブッ飛ばせ!

当時高校生のアタシは・・・やはり今と同じで文章ばかり書いていた。数学や英語の成績は悪かったが、文章は得意で、学校新聞に2度ほど掲載されたのを覚えている。生徒が2000人ほどいる学校だったが、新聞に掲載される生徒の作文は1回に1編だけ。だから学校新聞に載ると、けっこう目立つのである。

あれは確か、高2のときだった。アタシャそのとき、坪内逍遙の「当世書生気質」をパロった「当世○○生気質」という文章を国語の時間中に1時間で書き上げた。そしたら、その文章が学校新聞に載って、それまで全然目立たなかった生徒が、一躍注目を浴びたんだ。

おそらくアタシは数学や物理のテストで自信を失ってたんだろう。国語以外はまるっきしダメだったから。当時は理系偏重の世の中で、国語ができてもまったく目立たなかった。理系のヤツらも、国語のテストなら、そこそこの点を取れるでしょ。

あまりにも昔のことで、文章の内容はほとんど覚えてない。でも、そのときも、やはり三無主義について書いたと思う。「みんなこれじゃいけない。もっと何事にも熱くなろう。明るい未来を信じて活気を取り戻そう!」・・・多分、こんな路線で書いたと思う。

その後アタシは、なぜか高校野球の応援団長になる。目立たなかった生徒が、一念発起して全校生徒2000人をひとつにまとめようと思ったのだ。

『バラバラの応援よりは、誰かがまとめた方がいいだろう』

単純にそう思ったのがキッカケだった。今までアタシの高校では誰もやったことがない応援団長。まず何をすればいいのかさえわからない。でも、「その気さえあれば、必ずできる」という熱い思いがあった。アタシャ、知らず知らずのうちに、自分で自分を追いつめていたんだ。どうにかして学校新聞に書いたことを自分が実践して見せなければならないと思った。

そして、高校3年の春が来た。

応援団創設当初、団員はたったひとりだった。そうよ、団長のアタシひとりさ! みんな受験勉強に忙しくて、他人のことなんか、かまっちゃいられない。さあ、どうすりゃいい? アンタならどうする?

アタシがそのときどうしたかというと・・・、まず、春の六大学野球を5、6試合見に行った。どこかの応援を真似ることから、はじめようと思ったのだ。

すると、男子校だからチアリーダーのいる慶応の応援はムリだということがわかった。じゃあ、早稲田の応援はどうよ? 華やかで格好いいぞ。しかし、早稲田の応援は最低4人いないと格好が付かない。結局どこを真似ることになったかと言うと・・・、それは当時、最も男っぽく、最も古典的な法政大学応援団だった。

そうよ、男はやっぱり黒ずくめよ!