江戸のいいもの

たそがれ清兵衛の時代考証

2003年8月18日

現在、楽天広場の壁紙に使っている模様は「かまわぬ」という江戸時代に流行した模様だ。これは男っぽい模様として歌舞伎役者が使いはじめてから江戸で爆発的に流行した。

「鎌(絵文字)○(絵文字)ぬ」と書いて「かまわぬ」。これは「どうなっても構わぬ」=「今さえ楽しけりゃ」という意味で、江戸文化を感じさせる模様なのだ。つまり、「宵越しの金は持たない」という考え方に通じているんだよね。いいよなー、元禄時代。アタシャ「鯔背」とか「粋」とか、そういう言葉が大好きだ。その頃は将来の年金の心配なんか誰もしてなかったんだよ。当たり前だけど…。

アタシャ2年ほど前から江戸時代に興味を持っているのだが、江戸小紋を研究したり、町人文化を研究してみると「江戸時代ってスバラシイ!」という気がしてくる。今みたいに感染症の薬もないし、テレビや携帯電話もないのだが、なんちゅうかなぁ、現代人がとうに忘れてしまった「いい物」がいっぱいあるわけ。

たとえば「刻」(とき)。江戸時代は誰も時計を持っていなかったが、刻は鐘の音でアバウトに知ることができた。でも、いきなり鐘を撞きはじめたら、鐘の音がいくつだったか数えられない。そこでまず、注意をひくために捨て鐘を三つ撞いてから刻を知らせる鐘を撞いてたんだ。

でね、武家の夕食は申の刻(春分、秋分の日で言うと16時頃)が普通なんよ。それを知ってるだけでも、映画【たそがれ清兵衛】の見方が変わっちゃうの。なんでかって言うとね、清兵衛は日が暮れてから夕飯を食べてたでしょ。

女房が死んじまったから、自分で薪を割って、いろりに火を入れ、芋がゆのようなものを作ってたよね。つまり武家の夕食としては明らかに遅すぎるわけ。おそらく仕事は3時頃終わっていたはずなんだ。だから女房がいれば16時には夕食なんよ。つまり日暮れ前ね。

それから、清兵衛さん、脳足りんみたいな下僕を連れてたでしょ。あれも江戸時代のことを知らないと疑問に思うところだと思う。江戸時代の武士はね、どんなに貧乏でも最低一人は下僕を置かなきゃいけなかったのよ。これは決まり事でどうしようもなかったわけ。

でだな、あいつら下僕はお付きの者だからして、家にいて食事の支度なんかしないの。ちょこちょこ清兵衛のあとをついて歩いてたでしょ。それが正しいわけ。なにか用事を言いつけられると使いっ走りをするんだけど、いつもそばにいなきゃいけないのね。だから留守番や食事の支度なんかしないんだ。たとえ遊郭に行くときでも連れて歩いてたんだよ。

だから、江戸時代の武士ってものは、たそがれ時には家で食事を終えているか、酒屋で飲んでるのが普通だったと思うわけ。毎日仕事が終わったらまっすぐ家に帰るなんて、“野暮”以外の何者でもなかったんだな。世間体サイアクですよ!

これで【たそがれ清兵衛】の時代考証が正確だってことがわかったでしょ。ヒマだったらもう一度見てみるのも悪くないね。

たそがれ清兵衛

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