ジェネリック医薬品

ゾロの言い換え

2004年1月23日

みなさんはジェネリック医薬品という言葉を聞いたことがあるだろう。これは昔「ゾロ」と呼ばれていた医薬品のことである。(医薬品業界では、今でも「ゾロ」と呼ばれ続けている)

先発医薬品の特許が切れたあとに出てくる後発医薬品の総称で、先発メーカーが「月」とすれば、ゾロメーカーは「スッポン」さ。だから、「ゾロ」を「ジェネリック」と言い換えることは、「スッポン」を「ソフト・シェル」と言い換えるようなもので、実情より美化した呼び方なのだ。

じゃあ、なんで美化しなければならないのか?

それは、ジェネリック医薬品の薬価が安いからである。開業医や病院が安価な医薬品を使えば、国民健康保険の負担が軽減されて、国民全体の利益になる。(中身は同じということになっているから)

しかし、日本の開業医や病院では、未だに「ゾロ」のシェアが低く、数量ベースでは全体の10%ほどでしかない。これは欧米の約50%に比べると極端に低い数字だ。診療点数を削っても医療費が減らないのは、このためなんだね。

ジェネリック(Generic Drug)

じゃあ、なぜ日本の医療機関はジェネリック医薬品を使わないのか?

あれは17, 8年前だったかな? F製薬のプロパー(MR)がゾロメーカーの実態を暴く写真を医局で医師達に見せていた。

「なんと、注射薬を土間で作ってるんですよ!」

これは衝撃的だったね。先発メーカーの注射薬はクリーンルームでバイアルに充填される。クリーンルームというのは1立方メートルの空気中に、埃が1つあるかないかぐらい綺麗な部屋だ。そしてもちろん、クリーンルームの中で働く人は完全防護服を身につけ、エアシャワーで埃を吹き飛ばしてから部屋に入るのである。

ところが、ゾロメーカーはこれを土間で作っていやがった。魚屋さんが履くゴム長を履いてね。だから未だに信用がないのだ。いくら言葉で美化しても、所詮ゾロメーカーはゾロメーカー。設備や人のレベルが低いのはどうしようもない。

まあ、今はだいぶ改善されているかもしれないが、悪いイメージというものは、そう簡単に払拭できるものじゃない。日本という国は、そういうところに厳しいからね。一度貼られた悪いレッテルは容易に剥がせないんだ。

おまけに先発メーカーは金を持ってるから、医者や薬局長を接待するでしょ。ゾロ品なんか使ったら、医者や薬局長はつまらない仕事に耐えるだけになっちまう。だから、いくら安くても有力メーカーのゾロ品なんか入れないのさ。制裁措置以外はね。

じゃあ、ジェネリック医薬品はどんな病院で使われているかというと、それは主に老人病院だ。もう、治る見込みのない寝たきり老人やアルツハイマー病の患者が収容されている病院だよ。

実は、老人病院の場合、1ベッド当たりの保険点数が予め決まっているんだ。だから、薬価の高い薬を使うと必ず損するようなシステムになってるわけ。極端な話、水と食事を与えているだけにした方が儲かるんだな。だから延命措置も患者の家族が騒がない限り積極的にはやらない。ソフトな見殺しをすることさえある。

そういう病院に若い医者が派遣されるとね、医者の本分を見失っちゃうことがあるんだ。(アタシもそういう医者を何人か見てきた)最初はそうじゃないけど、だんだん患者を植物みたいに考えなきゃやってられなくなるわけ。

薬はほとんどゾロだから大学病院で使ってたのと名前が違うでしょ。それに、金のある製薬メーカーにも見放されて、ほとんどMRも来ないんだよ。そうすると、外界との接点がなくなって、だんだん古株で、やる気のない医者に感化されていくわけさ。

『どうせ家族にも見放された患者だし、遅かれ早かれステるんだ』

(「ステる」はドイツ語のステルベンから来ている隠語で、死ぬということ)

そう考えてみると、老人病院は現代の「姥捨て山」だな。そして、老人病院にしか相手にされないゾロメーカーは、ジェネリックと言い換えたって地位が向上するわけじゃない。日本でジェネリック医薬品が50%になることはないだろうね。

だから、これから来る高齢化社会に日本が対応するとしたら、「姥捨て山」をいっぱい作るしか方法がないんだよ。多分ね・・・

最後に「姥捨て」をテーマにした映画でも紹介しておこう。

生きたい 楢山節考 (1983年度製作版)

生きたい(モスクワ国際映画祭グランプリ)
楢山節考(1983年カンヌ国際映画祭グランプリ)