1998年3月5日
釣行の前々日にサンスイ大和店を訪ねた。今回は久々にフライをやってみたくなり、フライラインの手入れに使うミューシリンを買いに行ったのだ。
「おお、ナベちゃん。スーパードリームどうだった?」
「どこがスーパードリームなの? って感じでしたよ」
2月20日の大会初日、渡辺君はプリンスホテルの前でフライをやっていた。しかし、解禁日らしいお祭り騒ぎは味わえなかったようだ。やはりモーターボートを使った爆釣隊の方がはるかにマシだったのである。
初日に賞品獲得サイズ(レインボー50以上、ブラウン40以上)を釣った人は7,8人にひとり。この現実を見れば爆釣隊の6人中5人は素晴らしい結果と言える。いまだに納得はしていないが、贅沢を言ったらキリがない。
Tomy はしばらく話し込んだあと、ミューシリンとリーダーを買って店を出た。すると、シロップどぶどぶ状態のみぞれがたちまち路面を覆いはじめた。
『あぁ、箱根は大雪だな…』
1998年3月7日
幸い釣行前日に路面の雪は溶けた。小田原厚木道路を降りて箱根湯本で気温を計ってみると…
『5度か、オッケーオッケー、何とかチェーンなしで登れるだろう』
芦ノ湖の標高は700メートル。気温差は100メートル登るごとにマイナス0.6度が目安である。
宮の下4度、『まーだまだ』
宮城野3度、『行ける行ける』
さらに仙石原では2度、『うーんギリギリかな?』
そしてついに仙石高原で車の温度計は0度を示した。湖尻目前でチェーン装着なんて面倒くさい。Tomy はギアを高めにシフトして急坂をクリアしていった。
フーッ(`。´!
危ないところだった。あと1度でも気温が低ければ間違いなくチェーン装着である。
この日の同行者は“音速の奇行子”SIEG(ジーク)さんと、ルアー釣り2回目の井の中君である。Tomy は5時45分に湖尻到着。駐車場にはすでにジークさんの真っ赤なフェラーリもどきが到着していた。
いつものボート屋バイオレットに入っていくと、マスターがニコニコしながら…
「最近さあ、“インターネットで見ました”っていうお客さんが多いんだよ。船長ありがとね」
「へぇ、そうなの。案外効果があるんだな」
とまあ、こんな会話になった。この日はドタキャンが5艘も出たのだが、それすらもアッという間に貸し出し成功。“一日一善”をやった気分にひたることができた。
えっ? “一日一善”をやったことがないって? 小学生の時に Tomy はやっていたんだけどなぁ…
例えばどんなことをしたかというと、そのころはまだ押しボタン式の歩行者用信号機が珍しかった。すると、横断歩道の前でいつまでもたたずんでいるお年寄りが多かったのだ。だからそういうお年寄りを見つけたら「ボタンを押さないと渡れないよ」と教えてあげる。そういうのが一日一善だった。
そして、週に一度“道徳”という時間があって、どんなことをしたかを話し合うわけだ。「わたしはお花に水をあげた」とか「10円拾って交番に届けた」とか、本当にたわいないことばかりだけど、その頃は真面目にやる子が多かったと思う。でも、それとは別に“一日十悪”は軽くこなしていたのだが…。
さて、時刻は6時45分。Tomy は頼んであった年間遊魚券を受け取ると、ブルルンチョとエンジンをかけた。