ノーパンしゃぶしゃぶ

チロリアン・ブリッジ

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1999年8月14日

朝の4時。待っても雨が止まないので、さわむルアーが公衆電話で天気予報を聞いてきた。どうも芳しくないようだ。このあとも雨は断続的に降り続くらしい。仕方なく3人は再び車上の人となり、沼津方面に向かいながら様子を見ることになった。

「着きましたよ」

「ここはどこ?」

「片浜海岸というところです」

雨は幸い小降りでなんとか釣りになりそうだ。流れ込みの両側に釣り人が何人か見える。

「ルアーの人がスズキを釣りましたよ。60以上ありました」

「おお、ここはなかなか釣れそうだね」

Tomy は投げ竿にジェット天秤、ジャリメをエサにキスねらい。そして、Yos さん達2人がスキップバニーと土佐カブラのサーフトローリングである。

1投目、アタリはわからなかったが Tomy がトラギスをゲット。その後、小さなマダイの稚魚が2匹立て続けに釣れた。本命の大キスは釣れないが、魚影はけっこう濃い。

そして6時頃、Tomy の投げ竿(スズミ)がガガガッと震えた。これは魚に間違いない。竿が10本ぐらい買えそうな値段の NEW STELLA 5000 を巻くと、けっこうな重みが伝わってくる。

『これは本命の大キスか? それともゴミ?』

「あっ! カサゴだ!」

上がってきたのは150グラムほどのカサゴだった。口が大きいから水の抵抗で重く感じたらしい。雨の中、粘った甲斐があった。これならなんとか獲物と呼べるだろう。

「ナブラだ、ナブラだ!」

カサゴを Yos さんに見せびらかしていたら、150メートルほど沖で魚がバシャバシャ跳ねはじめた。かなり太いのも見える。30センチから40センチのイナダクラスだろう。

Yos さんとさわむルアーの出番だ。スキップバニーが勢い良く水面を駆け抜ける。しかし、ナブラが遠すぎて最初のチャンスは射程距離に入らなかった。2度目のチャンスを待たなければならない。

ここで、雨が再び激しく降りはじめた。波の音より雨音の方が強くなってくる。ウィンドブレーカーが防水能力の限界を越え、首筋から背中へ雨の滴が伝っていくのがわかった。

閃光、そして遠雷。全身ビショ濡れで、これ以上は濡れようがないというところまで雨をかぶった。早く来い! 2度目のチャンスよ。

「キタッ!」

右の方からナブラが近づいて3人の目の前、40メートルまで押し寄せてきたのだ。Tomy も Yos さんに弓ヅノを借りてジェット天秤で“バシューッ!”とナブラの先に仕掛けを投げ込んだ。

「ヒットー!」

Yos さんの土佐カブラに何かが食いついた。でも、上がってきた魚は細くて黄色い線がない。

「Yos さん何? それは」

「サバみたい」

3分ほど興奮の場面が続いたが、ヒットはけっきょく1回だけ。

ソウダとカサゴ

ヒットしたのはソウダガツオ(姫カツオ)だった。その後、約20分、次のチャンスを待ったが、ナブラが見えないところまで遠のいてしまい、無念の納竿だ。天気さえ良ければかなり釣れたかもしれない。

サーフトローリングに挑戦するなら飛距離を稼ぐために投げ釣り用の PE ラインを使ったほうがいいだろうね。PE は高いけど、遠くのナブラが狙えるから、結局は得だと思う。弓ヅノは食わなかったので、土佐カブラの方がいいだろう。メジも来るらしいので、ケチらずにナマズやバラフグ皮のいいやつも買っておくべきだ。

「もう、ビショ濡れ。ズボンとTシャツの着替えは持ってるけど…」

「ノーパンで短パン履くしかないですね」

「ノーパンしゃぶしゃぶだな、今回の題名は」

「ク・ク・ク…」

…というわけで、今回の題名は【ノーパンしゃぶしゃぶ】になったのである。釣りをやめた7時頃からはいよいよ雨脚が強くなり、川がみるみるうちに濁流に変わっていった。

Dickies 13''WORK SHORTS

このあと東名の沼津インターから豪雨の中を厚木まで帰ったのだが、つい今しがた通ってきた山北町で悲劇が起きていたらしい。皆さんも濁流に飲み込まれた哀れなキャンパーを見たでしょ。避難勧告に従わなかったのだから、死んだ人達の責任だと思うけどね。

気象庁によると、午前9時までの1時間当たりの雨量が、静岡県御殿場市で40ミリ、13日から14日いっぱいでは200ミリ以上降ったらしい。死んだ人達は残念ながら ASHINOKO ONLINE を読んでいなかったんだな。

増水の恐怖については Special に収録した釣り日誌、【Hokkaido 1980】や【Gussulin】の中で書いているんだよ。渓流釣りを本気でやったことがある人なら、1度や2度は危険な目に遭っているはずなんだ。

死んだ人達は何も知らなかったらしい。丹沢なんて杉ばかりだから保水能力があまりないのさ。集中豪雨ともなれば、膝下ぐらいの流れが1時間で胸までくるなんてこともあるだろう。現場はかなり川幅の広いところだったから、そこまで急激には増えなかっただろうが、おそらく気づいたときには中州が濁流に飲まれていたんだろうね。

しかしだよ。もし、流された人達のグループに Tomy がいたら、彼等は死なないで済んだと思う。皆さんは【Hokkaido 1980】の中でチロリアンブリッジの話をしたのを覚えているだろうか?

下の FLASH をスタートしてもらえるかな?

皆さんが今回のような大ピンチに陥ることはないと思うけど、もしもこのような状況になったら救助を待っている暇はない。どんなに勢いが強くても股下ぐらいまでの水位ならチロリアンブリッジで川を渡ることができるのだ。なんとか水位が股下ぐらいまでのときに渡りはじめなければ助からない。(川幅が狭ければ腰まで浸かっても渡れる)

Flash で示した通り、まずは全員が肩を組んで水圧をなるべく受けないような隊形を作る。女性を両脇で男性が支え、下流に向かって斜めに川を渡るのだ。この際、決してまっすぐ最短距離を行こうとしてはいけない。下流の目標を決めて、みんなでソロソロと進んでいくのだ。

みんなが一斉に足を上げないで、ひとりずつ足元を確かめるように摺り足で足場を確保していく。ひとりだと流される濁流でも、みんなが支えれば流されない。慌てず騒がず、ソロリソロリ。これなら絶対助かったはずなのだ。

まあ、こんなことがあれば当分は誰も中州でキャンプをしないだろうけど、突然渓流釣りをやってみたくなることがあるかもしれないから、ASHINOKO ONLINE の読者は覚えておこう。

Tomy は知床の知西別川で実際にこの方法を使い、ピンチを乗りきった経験があるのだ。そのときも、最初の降りはたいしたことがなかった。降りが強くなったところで下山を開始したのだが、来るときに膝ぐらいだったところが、2時間後にヘソぐらいの水位になっていたんだよ。