第十堰って何だろう?

吉野川治水の歴史

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2000年1月28日

第十堰改築と徳島県の関わりについて、県では【OUR 徳島】の紙面で、第十堰改築事業に関する疑問点を説明したり、建設省とともに地区別説明会や対話集会を開催しています。その中で「なぜ急に第十堰の改築を言い出したのか」というご意見がありました。

そもそも第十堰の改築は、県民の強い要望を受けて県が建設省に要望したことに始まります。そこで、これまでどのような経緯があって改築に至ったのか、などについてご説明します。

徳島県の広報誌は【OUR 徳島】というのか・・・。なるほど、それは素晴らしいネーミングだ。しかし、「県民の強い要望を受けて」というのはチョット納得いかない。ここは「建設業者の強い要望を受けて」に訂正すべきだろう。

第十堰と徳島県を巡るこれまでの歴史

昭和40年

吉野川が一級河川に指定され、第十堰も建設大臣の管理に移りました。それまでは、吉野川は県が管理していましたが、洪水などの災害がたびたび発生したため、多くの県費を投入して人々の生命や財産を守る努力を続けてきました。特に第十堰の復旧は難工事を極め、昭和36年には、仮堰を作るだけで3ヶ月も要したとの記録が残っています。

昭和41年

吉野川の治水・利水の向上を図る吉野川総合開発計画の一環として、上流に早明浦ダムを造って、洪水を調節するとともに、ダムで生み出された水を高知、香川、愛媛に分水することについて、建設大臣から県知事に意見を求めてきました。

当時吉野川の水は、下流の農地を潤したり生活用水として利用されるなど、徳島県民としては既得の権利と考えていました。しかし、この計画では普段の水の一部を他県に分水し、洪水はこれまでどおり徳島県に流すというもので、県議会を始め、流域の住民は猛烈な反対運動を展開しました。

このような意見を受け、県としては、吉野川の治水対策、特に第十堰、第十樋門の改修、岩津上流の堤防工事を進めるという要望の実現を前提として、最終的には四国全体の発展を考えて計画に同意しました。県民の要望を受け、県として初めて国に対して第十堰改築の意思表示をしたのです。

その後も吉野川の水利用に関して国から県への意見照会のたびに第十堰の改築要望を続け、この結果、昭和57年にやっと治水・利水の基本となる工事実施基本計画に第十堰の改築が位置づけられました。

昭和58年

さらに富郷ダムを建設し、愛媛県への分水を増加する計画の際にも、第十堰の改築のための調査の実施やその他の治水対策を進めることなどを前提に同意しました。この同意に関連して、県議会としても、党派を超え全会一致で付帯決議がなされました。

平成3年

昭和59年から建設省により第十堰の調査が進められ、その結果8年後のこの年、正式に事業化が決定しました。

平成7年

吉野川第十堰建設事業審議委員会が設置されました。

平成10年

審議委員会から「可動堰での改築が妥当」という最終意見が出ました。

このように県は、吉野川の洪水から生命財産を守って欲しい、吉野川の水を利用したいという住民の要望に応えるため、懸命の努力を続けてきました。建設省の管理になってからも第十堰の早期改築や吉野川上流の築堤を30年以上にわたって要望し続けて今日に至っていますが、それは早明浦ダムや富郷ダムを建設して他の3県への分水を了解するための、いわば県民全体の同意条件でもあったのです。

今回、住民投票の結果を受けて、徳島市長は可動堰反対派に回ったらしい。反対派の皆さんは喜んだと思うが、Tomyは『こんな日和見主義者に政治を任せていいのだろうか?』と本気で思った。

小池市長というらしいが、Tomy が徳島市民だったら次回の選挙では絶対に小池氏に投票しないだろう。態度を変えるなら住民投票の前に変えるべきだった。こんなの客の反応を見てネタを変えるお笑い芸人と何ら変わらん。良く言えば“臨機応変”だが、この場合は人気取りとしか思えない。