第十堰って何だろう?
吉野川第十堰問題
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2000年1月28日
伊豆へアオリイカを釣りに行ったのだが、今回どこへ行ったかは秘密である。そこは2、3人がせいぜいの狭いポイントなのだ。2、3人でいっぱいになるところをインターネットで紹介するのは、あまりにもキケンである。E-mail で教えてもらった場所だから、教えてくれた人に迷惑がかからないとも限らない。
それにしても、最近は釣りをしている時間より行き帰りの時間が長くなって困る。今回行った場所も往復5時間以上かかった。そこで、行き帰りの時間に考えたことを今回も書いてみよう。
今回考えたのは吉野川第十堰のことである。これは国が推進する巨大プロジェクトに住民運動が歯止めをかけられるか否かという問題だ。河川工事に呆れ果て、とうとう渓流釣りから足を洗った
Tomy にとっては非常に興味深い。
文中、建設推進派の言い分は書き換えずに引用する。文句があればすぐに削除するが、書き換えていないので文句はないだろう。なお、反対派の意見は参考に留め、事実のみ引用、画像はすべてオリジナルである。
源流から河口まで
- 吉野川は源流から高知県北部の早明浦(さめうら)ダムを経て徳島平野に入る。支流の穴吹川は、1996年、1997年度に四国で最も水質の良い川と認定された。
- 第十堰上流で旧吉野川と別れる。旧吉野川は鳴門市で海に注ぐ。
- 河口部には大きな干潟があり、川幅は約1.5km。河口干潟は渡り鳥の楽園で、世界的にも珍しい「スグロカモメ」、絶滅が心配されている「カラシラサギ」などが見られる。また、片方のハサミだけが大きいシオマネキが河口近くの干潟で生息している。
- 河口から、およそ15kmのところにある「第十堰」までが汽水域である。
四国で一番キレイな川は四万十川がだと思っていたが、間違っていたようだ。今回、いろいろなページを見たが、ポカリスエットが鳴門市の工場で作られていることや、吉野川のスズキが河口から15キロも上流にいることがわかった。
第十堰の歴史
もともと吉野川の本流は現在の旧吉野川だった。堤防のなかった昔の吉野川は大変な暴れ川で四国三郎と呼ばれていた。
江戸時代と現在の吉野川(FLASH)
- 江戸時代は吉野川が曲がりくねっていたため、城下へ物資を運ぶ水路が狭かった。そこで、阿波藩は新川掘り抜き工事を行い、幅八間(約16メートル)の運河を作って川を真っ直ぐにした。
- ところが、はじめ幅16メートルだった運河が、洪水があるたびにどんどん広がって、ついには本流の旧吉野川を上回る大河になってしまった。
- 現在の鳴門市と徳島市の北部は、旧吉野川の豊富な水量によって穀倉地帯となっていたが、新川掘り抜き以後、旧吉野川や今切川の水が激減し、渇水時に海水が河川や地下水に流入して「塩害」が頻発するようになった。
- そこで、阿波藩は農民からの嘆願を聞き入れ、新川せき止め工事に着工した。この工事は松杭を河床に打ち込み、杭と杭の間に石をつめこんだ蛇籠をはめこんで、積み重ねていくという方法だった。
その後
- 1919年、旧本流であった旧吉野川の流れが第十堰近くから約1km上流に付け替えられ、第十樋門が作られた。
- 昭和40年代には洪水で損壊し、一部がコンクリートで覆われ、さらにテトラポッドで補強された。
- さらに、旧吉野川と今切川には第十堰が決壊したときの塩害に備えるため、可動堰が作られた。
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