元祖はエライ

ゲームフィッシングの立役者

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2000年7月14日

それでは金曜日の庄治郎丸に舞台を移しますが、今回は庄治郎丸がルアー・シイラ船の元祖として、どんなことをしてきたのか。また、シイラ船を操縦する堺船長についても詳しくお伝えしましょう。

堺船長まず、写真の堺船長ですが、船長は東海大学釣魚部の先輩で、大学卒業後、すぐに庄治郎丸に就職しました。みんな当時はビックリしたんですけどね。この人は本当に海が好きなんで、今考えてみると大正解だったと思います。

実は、釣魚部の部員が毎年庄治郎丸でアルバイトをしていたのがキッカケで、そのまま就職したのです。文科系の就職難ということもあって。

堺船長は文学部で日本史専攻でした。かく言う Tomy も文学部で何の役にも立たないロシア語やパロディーの勉強をしていたんですけど・・・

堺船長は今でこそピカピカのルアー船を操縦していますが、下っ端の頃は大変でした。平塚の船はアジ・サバと秋のイナダ(カッタクリ釣り)がメインだから、船がモノスゴク汚れるのです。

朝はイワシをミンチにしてオキアミと混ぜる作業。土日は主にラインのお祭りをほどく作業。そして、こびりついたコマセを洗い流す作業の連続です。とても大学を出てまでやる仕事じゃないと、誰もが思っていました。キタナイ・クサイ・カッコ悪いの3Kですからね。その当時、“ゲームフィッシング”なんて言葉は、まだ存在すらしていなかったのです。

しかし、その後状況は変わりました。つまり、釣り業界が堺さんのようなルアーフィッシングに精通している船長を必要とする時代になったのです。大学の釣魚部でいろいろな釣りを体験してきたことが生きたんですね。

「きょうこそは釣らしてくださいね。お願いしますよ〜!」

「きのう来れば爆釣だったけどなぁ、今日のことはわからねぇよ」

「平日なのに隣の庄三郎は混んでますね。お客の数で負けてますよ」

「並んでるロッドを見てみな。こっちと全然違うベ」

「あ、ホントだ。ケンちゃんショップの竿が多いっすね」

「来るお客さんの質はこっちの方が高いぞ。ただ庄三郎は上州屋の釣り教室をやってるから、営業力では上だな」

「なるほどね。波平専務は水曜から木曜だけで、shojiromaru.com に430アクセスもあったと言ってたけど・・・」

「ホームページも庄三郎の方が充実してんだよ」

「ところで今日はどっち方面に?」

「きのうはものの15分でいい潮に入れたんだけどな・・・」

「えっ? もう30分も走ってるのに何も見えませんけど・・・鳥も飛んでないし・・・」

「海は1日でガラリと変わるのさ。それが生きてる証拠だよ。だからこそ面白いんじゃねーか。経験とカンがモノを言う世界だからこそ面白いわけよ」

「なんか、急に曇ってきましたね」

「風の変わり目だな。北東から冷たい風が入るとこうなるんだ」

それまで5キロぐらいあった視界は、急に200メートルぐらいになってしまいました。ホントに2,3分ぐらいの短時間で濃霧になったのです。

「これじゃ、シイラ釣りになりませんね」

「まだそう遠くまで来てないから、引き返すぞ!」

「えっ!」

「大丈夫。晴れたらまた沖に出るさ。こんな状態でシイラを探しても出会える確率はゼロに等しいだろ。この時間ならジギングでカマスが狙えるんだよ」

「カマス?」

「おお、今年はワカシとカマスがいいんだ。去年はタチウオとカツオだったけどな」

「ついこのあいだまでは大サバでしたよね」

「シイラが来た途端にサバは沖から姿を消しちまったよ」

「ふーん」


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