漁魔が行く-04(魔餌木編)

桂浜にて

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1999年2月3日

竜馬像左はご存知、桂浜に立つ高さ15メートルの竜馬像です。桂浜の眺望は本当に素晴らしかったですね。

それから、“龍馬”と“竜馬”はどちらが正しいのかという疑問も坂本龍馬記念館で晴れました。結論から先に言うと、どちらでもいいんです。どちらも直筆のサインが残っているんですよ。

ところで、今回高知を旅していろいろなことがわかりましたが、中でも印象的だったのは、人口が少ない割に高知の人は目立つということでした。目立つ人と言えば、その筆頭が坂本竜馬ですよね。でも、意外に坂本竜馬がどうして偉いのかをみんな知りません。カッコイイというイメージはあるのですが、何をした人か正確にわかっていないのです。

竜馬がいなくても、いずれ幕府は倒れたでしょう。しかし、それは大政奉還という無血革命ではなかったと思います。無血革命は世界的にも珍しいのですよ。その難しいことをやり遂げた中心人物として、日本の歴史に坂本竜馬は欠かせないわけです。

当時、強大な武力を持つ薩摩と長州は仲が良くありませんでした。どちらか一国だけでは幕府といい勝負。当然戦争になっていたはずです。戦わずして幕府を屈服させるには両国が過去のわだかまりを捨てて、手を結ぶ必要がありました。

これでわかったかな? 坂本竜馬が歴史上の重要人物だったわけが…。

龍馬記念館展望台パノラマ(QTVR)

他にも幕末から明治にかけて活躍した高知出身者が他にもいます。自由民権運動の板垣退助。100円札のヒゲおじさんね。暴漢に刺されて死んだのですが、「板垣死すとも自由は死なず!」と言いながら死んだらしい。(それしか実は知らないんだけど…)

それから、ジョン万次郎。咸臨丸がはじめて太平洋を渡ったとき、指揮をとっていたのは勝海舟です。でも、難破してアメリカの捕鯨船に助けられ、アメリカで英語と航海術を勉強したジョン万次郎が乗っていなければ、どうしようもなかったでしょう。言葉が通じなければ行ったって何の意味もなかったはずだし、第一無事に着けたかどうかも怪しいです。(ちなみに、ジョン万次郎は日本で最初の英語教師になった人なんですって)

あと、つい最近の出来事ですが、臓器移植法に基づいて全国初の脳死判定を受けた人も高知の人でした。ジョン万次郎以外は不幸にも死に急ぎましたが、革新的なことをやろうとすれば、キケンと隣り合せは仕方のないことです。事なかれ主義じゃ新しい道は拓けません。そういうことを高知の人は教えてくれたような気がします。

平成大不況を乗りきるにも痛みを伴わなきゃならんのです。どうしようもない銀行は潰して責任をとことん追及しなきゃダメ。教育も根本から変えなきゃいけない時期だし、そろそろ憲法も改正が必要でしょう。首都機能移転も棚上げしている場合じゃありませんよ。

関西大震災の時はインターネットが役に立ったらしいのですが、関東大震災の場合はおそらくダメでしょう。あまりにも東京にネットの根幹が集中しすぎているのです。このままでは何もかもマヒしっぱなしで、東京の復興には神戸の数倍時間がかかってしまう。その間に日本の国力はガタ落ちです。

一度地震で東京をフォーマットしたほうがいいという意見もありますが、過去の財産をとことん失うんですからね。国力ガタ落ちは避けられません。

人口を分散させるのが難しければ、インターネットやイントラネットの根幹だけでも高知や秋田に持って行くべきなんです。東京に大災害が起きても通信網が死なない環境。これさえ作っておけば将来的に人口は分散するでしょう。