ヤニオさん

1997年3月18日

頭壊大学釣魚部はいずれ劣らぬオバカの集団であった。今回の話は若干脚色を加えているが、ほぼ事実である。大いにに笑っていただきたい。

Tomy は初めてルアーで魚を釣った時のことを思い出してみた。それは今を去ること20年ぐらい前のことだ。場所はタフなバスポンドとして知られる津久井湖の沼本ワンドという所。季節は確か梅雨時で小雨がパラついていたような気がする。

Tomy はディスカウント・ストアで安い振出竿を買い、先輩の車で津久井湖に行ったのだった。

「釣れないねぇ」

「こんな物でホントに釣れるのかなぁ?」

Tomy とアンコウは口々に文句をたれながらもフローティング・ラパラを投げ続けた。2人は頭壊大学釣魚部の1年で、渓流釣りに関しては既に4分の3人前ぐらいだったが、ルアー釣りは初めての経験だったのだ。

ボート屋の桟橋で、Tomy は『どうせ釣れるワケない』と思いながらも、無意味と思えるヘボキャストを繰り返していた。同じ所を何十回もグリグリと引く。どうせ釣れるワケないと思ったから、場所もルアーも変える気はない。

それに、安い竿だから10mぐらいしかルアーが飛ばないのだ。現在は幼稚園児でさえカーボンロッドを使っているが、その当時は高嶺の花だったのである。Tomy は先輩の「帰るぞ!」の一言を期待しながら、惰性で同じことを繰り返していた。

*

Tomy 達を津久井湖に連れて来てくれたのは三平さんだったかな? それともヤニ男さんだったかな? もしかしたら少年だったかもしれない。とにかく先輩達には何がしかのニックネームがついていた。

三平はわかりやすいでしょ。もちろんこれは矢口高雄の漫画【釣りキチ三平】にちなんだニックネームだ。手足が細長く、目がクリッとして“超”がつくほどの釣りキチだった。でも、ヤニ男さんや少年については若干説明が必要だろう。

それではまず、ヤニオさんから紹介するよ。

ヤニオさんは“超”がつくほどのニコチン中毒患者だった。今はどうしているか知らないが、もしかしたら肺ガンで既に死んでいるかもしれない。彼はいつもハイライトを1日に50本以上吸っていたのだ。

釣魚部は春と夏に2回の山岳渓流合宿を行うのが恒例になっていたのだが、この逸話は春合宿の時のものである。

ヤニオさん達は山奥にテントを張って無邪気なイワナと遊んでいた。20年以上前だから魚はいくらでも釣れただろう。彼等は時が経つのも忘れて何日も山の中にこもっていた。

現在はどんな山奥にも車が入って行ける。しかし、当時は林道がない川もあった 。彼等がテントを張った所から麓の町までは、およそ7キロ川通しに歩かなければならなかったらしい。

春の渓流は朝方メチャクチャに冷える。テントはバリバリに凍りつき、前夜炊いた飯はアルファ米のようにパラパラになったそうだ。さすがに釣りキチ揃いの先輩達も早朝は釣りに行かず、テントの中でシュラフにくるまっていた。そんな極寒の朝、ヤニオさんはポツリと一言こう言った。

「僕、タバコ買ってくる」

先輩達はア然とした。(`⊥´! それは当然と言えるだろう。川沿いには角のとれた丸い岩がゴロゴロ連なり、おまけに雪をかぶって滑りやすい。さらに、町まで川を下る途中には“河童流れの瀬”とか“クマ返しの通らず”なんていう難所が控えている。単独で行かせるのは危険すぎた。

特に、“クマ返しの通らず”は難所中の難所なのだ。滑りやすい緑紋変岩の急峻な谷を0度近い雪解け水が川幅いっぱいに流れている。足元が確認できないほど急角度の壁を30mほどヘツッて行かなければならない。

先輩達はヤニオさんを説得し始めた。彼を行かせるなら誰かが付き添わなければならないからである。たかがタバコのために誰も危険を冒したくはない。食料はまだ3日分ぐらい残っていたのだ。

「おい、柴田!タバコぐらい我慢せーよ。オマエのために誰かが付いて行かなきゃならんのだぞ!」

(当時、まだヤニオさんは柴田と呼ばれていた)

「大丈夫です。ひとりで行けます」

ヤニオさんは先輩達の制止を振り切って、雪深い渓流をひとりで下って行った。彼の頭の中はタバコ吸いたい!の一言で埋め尽くされていたのだ。

ヤニオんは秋田の山村で育ったから山歩きはお手のものだった。彼は長い手足をいっぱいに伸ばし、何とか手掛かり足掛りを見つけてクモのように難所をヘツッて行ったのだ。たかがタバコのために…。彼は朝の9時ごろテントを出発して夕闇が迫るころ帰ってきたそうである。

少年

少年に至ってはどうしてそんなニックネームが付いたのか見当もつかなかった。ただ単に子供っぽい顔をしていたワケではないのである。彼はどちらかと言えば大人びた顔をしていた。彼のニックネームには深いワケが隠されていたのだ。

少年少年は本名が確かS男だった。しかし、先輩達は誰もS男と名前を呼ばない。だから、後輩の Tomy 達はなかなか本名がわからなくて、この先輩を少年さんなんて呼んでいたのである。

彼は釣りが人並外れてうまい以外に何も取柄がなかった。“超”がつくほどワガママだし、後輩達をよくいじめた。学力はサイテーで本当は2年生のはずなのに、なぜか1年生だった。文字は古代エジプトのくさび型文字を変形させたようなものだったから誰にも解読できやしない。よく大学に入れたと感心してしまったほどだ。

どうして彼が少年と呼ばれたかと言うと、彼は少年の頃から釣魚部の大先輩達に連れられて、東北中の渓流を歩き回っていたのである。彼は山形県の生まれで、大先輩の家の近くに住んでいたため、よく合宿に連れて行ってもらったのだ。もちろん彼が大学に入学できたのは先輩達の推薦があったからに他ならない。

どうせ大学に入ってから勉強するやつはほとんどいない。ならば、一芸に秀でた者を何人か入れておけば将来有名になって大学の宣伝になるやもしれぬ。大学も考えたものだ。こうして、少年は大学に進むことができたらしい。

*

さて、初めてのバス釣りに話しを戻そう。先輩はどんどん岸沿いに移動していったので、とうとう姿が見えなくなった。しかし、Tomy 達は『どうせ釣れない』と思っていたので、ずっと同じ場所でラパラを投げ続けている。

すると、Tomy があまりにも執拗に桟橋の回りを探り回ったので、とうとう1匹のバスが我慢しきれなくなってラパラに食いついてしまった。ヒットしたのは、ほとんど竿先に食いついたのかと思うくらいの足元。

30cmにも満たないヤツだったけど、これは感動的だったね。何しろ初めてルアーで釣ったんだから。でも、ファイトは1秒も味わえなかった。食ったと同時に桟橋の上にジャンプしてしまったのだ。

Tomy はその後、バスをかなり釣ったと思う。おそらく200匹ぐらいはトータルで釣っているだろう。でも、本来はトラウトが好きだからクソ暑い時にしかバスを釣っていない。つい最近まで、『バスはバカだから釣る気になればいつでも釣れる』思っていたのである。

しかし、その認識を変えざるを得ない状況になっているようだ。津久井湖あたりでは3匹も釣れれば上々の出来らしい。バスの遺伝子にルアーを警戒する何かが入り込んでいるのだろう。よくよく考えてみると、釣り人の方がバスに遊んでもらっているのかもしれない。

バスの雄は産卵のあと卵を守るために浅場に残って番をすると言うでしょ。パチンコに夢中になって我が子をクルマに置き去りにする人間よりは頭がいいんだよ。

Tomy の場合、ワームでバスを釣ったことはほとんどない。そのかわり、ほとんどトップで釣ったから面白かったよ。