イルカトラズ

イルカトラズの生活

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イルカトラズに電気はない。だから囚人達は夜更けとともに眠り、夜明けとともに起きだすという非常に健康的な生活を送っていた。煮炊きに使うプラスティック燃料は支給されているが、夜通し明かりをつけておくほどの量はないのだ。たまに本土から古本が運ばれてくるが、夜は本を読むこともできなかった。

イルカトラズの朝

そして朝、夜明けとともに井上がマントラを唱えだす。

♪なんたーら かんたーら♪

♪なんたーら かんたら いーんでぃあ♪

♪なんたーら かんたーら♪

♪あいのぉー くにぃー かんたーら♪

井上が唱えるマントラは毎朝恒例の儀式であった。彼は夜明けとともに起きだし、水平線から上る太陽に向かってワケのわからない言葉で祈りを捧げるのだ。そして、いつしか囚人達は井上のマントラを起床の合図として受け入れるようになり、毎日規則正しい生活を送るようになった。

井上はこの島の囚人達の中では最も重い終身刑、つまり井上が死なないかぎりこの儀式は永遠に続くのである。

マントラ

井上は歴史的な犯罪“地下鉄サソリ事件”の主犯格だった男だ。現在はマインド・コントロールから解き放たれているが、シャバでしてきたことはまるで悪魔の仕業としか言いようがない。

最初のうち彼は他の囚人達から浮いた存在だった。他の囚人が2年から6年ぐらいの刑期であるのに対し、彼だけが重い終身刑だからである。

しかし、孤島に送られた囚人達の心には深い悲しみや焦燥感を和らげる何かが必要だった。そう! それは音楽や宗教のたぐいである。とにかく何でもいいから心を癒してくれるものが必要だったのだ。毎朝唱えられる井上のマントラはいつしか囚人達をなごませる音楽のように聞こえはじめていった。

「おい、井上。お前は浅墓のマインド・コントロールから覚めたんじゃなかったのか?」(ケン)

「とっくに覚めているよ。あの汚らしいスケベジジイを尊師と呼んでいた自分が恥ずかしい」(井上)

そう吐き捨てるように言うと、井上は修行時代のことを徐々に語りはじめた。マインド・コントロールとは何か、教義の矛盾点、そして浅墓がサティアンでしてきた悪行の数々を囚人達の前で洗いざらい話したのだ。

そして、彼は馬鹿正直に浅墓を信じ、馬鹿げたイニシエーションを次々に克服し、2度臨死体験をしたいきさつもとくとくと語って聞かせたのである。

浅墓自身が30秒もできなかった水中クンバカ。プールに潜って蓮華座を組み、ひたすら息を詰めて時間を競う馬鹿げたイニシエーション。井上とNは尊師に認められようと必死に競い合い、ついにNは溺れ死んだ。

ポカリを飲む浅墓地中のあなぐらで断食をするイニシエーションでも同じようにYが餓死した。しかし、井上だけは死と隣り合せの修業をマジでこなしたのである。ひたすら“最終解脱”を目指して…。

「結局、本当に修業をしたのは私だけだった。浅墓はあなぐらで15日間断食するイニシエーションを信者の前で見せたことがあるが、そのとき私は浅墓があなぐらに入る前にこっそりポカリスエットとカロリーメイトをあなぐらの奥に隠したのだ。私は口が固いので誰かさんのように殺されずに済んだけどね…」

井上はそう言うと急にゲラゲラ笑いだした。そして囚人達の間にも笑いの渦が広がっていった。