Hokkaido 1980

未体験ゾーン

7/11(INDEX

外の物音で目覚めたのはちょうど夜明け頃だった。他の2グループは既に身支度を整えて湯を沸かしているようだ。

「釣りかな?」

「単独の人は沢登りって感じだね」

先を越されても焦る必要はまったくない。この日の目的は知西別湖の探検なのだ。一行はゆっくり食事の支度をして最後に出掛けることにした。

単独の人は白いヘルメット、ワークシャツに紺色のズボン、渓流足袋にワラジを付けて間もなく出発。これは完全に沢登りのいでたちである。目的地は羅臼湖にほぼ間違いなかった。

そして、2人組が重そうな背負子を担いで2番目に出発。背負子にはゴムボートとパドルが・・・。

「あの人達も羅臼湖かな?」

「まさか知西別湖じゃないだろうね」

その後、我々も2人組から1時間ほど遅れて出発。今日は様子見だから軽装で行くことにした。アンコウは5番のフライロッド、アタシがウルトラライトのルアーロッド、そして井出は滝を直登するために登山靴をデイパックに入れての出発だ。

ほぼ1時間、無言で谷川を遡行。丸石の頭をチョンチョン飛び渡り、チョークストーンを乗り越え、冷たい水に押し流されつつ急流を渡って行く。今日はヘツリの難所も短時間ですり抜けることができた。だいぶ体が慣れてきたようだ。

*チョークストーン:狭いV字谷をふさぐように引っかかった大岩のこと。

小さな滝を何段か登り、V字谷の空が一瞬開けたとき、シャワシャワという音がして左岸に大滝の下部が見えはじめた。1番下は角度が約45度。流れ落ちた水は岩肌をナメて本流に降り注いでいた。

滝下から見上げると、滝の上部はうっそうとした樹林に覆われたホワイトウォーターだ。ここを直登するにはかなり勇気が必要だった。

「オッサンは羅臼湖に行ったな。滝壷の向こうに渡った跡がある」

「2人組は知西別湖だ。あそこに足を滑らせた跡があるぜ」

滝の少し下流の斜面を登っていったのだろう。そこには真新しい足跡が残されていた。

「滑りやすそうだな、俺もシャワークライムにするか」

「よせよ。“アンコウの滝上り”なんてシャレにならないぜ」

井出は待ってましたとばかり、登山靴に履き替えた。トレパンは濡れると重くなるので短パンに着替え、膝下にはナイロンのスパッツを付ける。そして、井出は今まで1度も見せたことのない獲物を狙うヒョウの目になって滝に食らいついていった。

フキの傘

井出の身長は180センチ。長い手足をいっぱいに伸ばして一気に高度を稼いでいく。 真冬の富士山に単独登頂するぐらいだから、井出にとってはこんな滝ぐらい屁でもなかったのだろう。

大高巻き

渓流マンや登山家にとって、10メートル以上は30メートルも300メートルも大して変わらない。落ちたら死ぬから気が抜けないというだけの話だ。3点支持さえしっかりしていれば高度を恐れることはない。 手がかり足がかりの1個所が崩れても、残り2点でしっかり体を支えられる。問題は動かしている手足を置く場所なのだ。滑りやすい土や崩れやすい岩が最も危ない。

たとえ垂直でも崩れる心配のない岩盤が一番安心できる。 そういう意味で、滝を直登できればそれが一番安全なのだ。絶えず水に打たれている岩盤はほとんど崩れる心配がないし、苔も付きにくい。

しかし、我々が登りはじめた滝下の斜面はモロくて滑りやすかった。頻繁に土砂が崩れているようで、根のしっかりした木が少ないのである。2人はシャワークライムの井出に大きく遅れてしまい、少々焦りはじめた。

と、そのとき。

「らっくー!」

アンコウが右手でつかんだ石が浮き石で、体重をかけた途端に滑り落ちた。アタシの右をすり抜けてメロン大の石が転げ落ちていく。2、3度斜面でバウンドした石は岸の大岩に当たって粉々に砕け散った。

危ない危ない。同時に登っていたら死ぬところだった。

これらをしっかり頭に叩き込んでほしい。軽登山でも落石で死ぬことはたまにある。間隔を詰めすぎると落石を避けきれないのだ。混んでいる夏山なんて危険がいっぱい。アブナイから行かないほうがいい。てっぺんまで行ったって幻の魚はいやしないぜ。

意外なほど斜面下部にてこずって時間をロスした。しかし、急角度ではあるものの、斜面上部のほうがハイマツや熊笹が手がかりになってスピードアップする。下部での遅れを取り戻して何とか30分ほどで滝上に到着。熊笹の壁を平泳ぎの格好でかき分けて、2人はようやく井出が待つ滝の落ち口へ。

一方、いち早く滝を登り切った井出は、キセルでタバコを吹かしながら2人を待っていた。キセルは井出のトレードマークなのだ。井出はシケモクを大事にとっておいて1本を2度吸うのである。当時はわかばという安いタバコがあり、彼はそれを根元まで吸い尽くしていた。

(確か一箱70円だったと思う。その他に100円以下のタバコはシンセイなんてのがあった)

3人がそろったところでまずはクマ払い。爆竹を1束熊笹に結びつけ、盛大に鳴らしてやる。山中に響き渡る爆竹の轟音。我々だけでなく、他のグループが爆竹を鳴らす音もたまに聞こえてきた。

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